仕事ってなんなのかな?

最近ずっと自分にとっての仕事がなんなのかわからないと悩んでいる。

というよりもサボりがちである。

 

仕事をしててもすぐにサボってネサフとかしちゃう。

 

前はできたのに今はできないってことも受け止められなくて

環境のせい?とか色々思ってきたけど、

ちょっと思い当たる事があったので書き込み。

 

もとより、

「食べるために働く」という意味がわからない。

正確に言えば現実味がない。

経験がないんだ。という意味ではそうかも知れない。

浪費家なのでカードの請求がカツカツでやりくりしなくちゃいけなかった。

ということは一応経験しているけど、

「食べられなくなるのだ」という現実味がない。

 

「食べられなくなるのだ」という不安はあっても、現実味は感じない。

ただ正体不明の不安と世間の常識みたいな見えないもので、

急かされている”だけ”のような気もする。

 

ただ、現実味はなくても、そうなるだろうという想像は容易にできる。

想像はできるのに、現実味はない。

その間で思考がずっと反復横とびを繰り返している。

明確な答えがない。

 

脱線した。

思い当たる答えとしては。

単純に今の作業内容がつまらないのだ。

だからやる気が起きない。

でもやらなきゃいけないというのはと、時間を意識してしまうのは、

学生の頃からの授業を受けなくてはならない、部活はしなくてはならない。

みたいな時間を拘束されてきたことの延長的な惰性で続けている気がする。

 

時間の拘束については言ってしまえば主観がない。

仕事はしなくてはならないものである。

そしてこの時間は仕事中である。

という決め事をただなぞっているだけ。

 

でも私の気持ちはつまらない作業だ。ということで、気が進まない。

でも仕事の時間が決まっている以上、

”やらなくてはならない”という義務にもにた気持ちで続けている。

 

本来、これは、食べなくては行きていけないのだ。

という気持ちを支えに仕事を行うんだろうけど、私はそれがない。

 

あとは私の仕事が遅れれば誰かに迷惑をかけてしまう。という気持ちも必要だと思う。

私もそれはそうだと思う。

迷惑をかけている自分でもあるので、それはよく分かる。

けど、気持ちの底の方で思うのである。

 

「だから?」

ひどい人間である。

他の人に迷惑かかる?だから?って思うのだ。

故に私のしごとへの気持ちを支えてくれない。

でも逆にいえばこうなのだ。

やる気が無いのであれば、仕事を受けるべきではないのだ。

そう。そうなのだ。

受けるべきではないのだ。

 

これはかろうじてわかる。

ここでまた時間の拘束の話に戻る。

 

結局、

自分で選択していないことが原因なんだと思う。

私は「この仕事を!」「この時間に!」「やる!」と決めていないのだ。

 

与えられた仕事、締切があって、

会社が決めた仕事時間があるからその中でその作業をしている。

 

全部他人に与えられていることなのだ。

そりゃ嫌にもなる。

 

 

他人にやらされているのだ。

自分が面白いとも思わない仕事を。

 

さらに言えば、

自己肯定感の低さもあいまっている。

 

私にしかできない仕事なんてない

→これもやらなくてはいいのは?

or→私にはやっぱりできないのでは?

これも良くないと思う。

 

自分の作業の「価値」をわかっていないと思う。

 

仕事に価値があるんじゃなくて、

自分が作業したことに価値を置くべきなんだと思う。私の場合は。

 

というわけでやらされているからやる気がない。

仕事はつまらん

作業している自分というものに価値を見出す。

 

の3本が今の所私が仕事をすることへの価値なんじゃ。と思う。